みなさん、こんにちは。
昨日はバタバタと忙しくて、更新できませんでした。今日の話題は少し難しいのでまとまった時間が必要だったからです。
通常授業が始まっていますが、いかがでしょうか。学校の再開の見込みが立たない中不安かと思いますが、せっかく塾に来ているのですから、ぜひ有効活用してください。
<今日の学習>
さて、サブタイトルを「今日の学習」としてみました。でもなんかイケてないなぁ…。
前回の投稿で、「言語記号の恣意性」のお話をしました。理解できましたか?
今回は「恣意性」のもう一つの側面である「概念化の恣意性」についてお話しします。
まずもって、「概念」とは何かをお話ししなければなりませんね。一言でざっくりいうなれば、「概念」とは、個々の事物から一般性・共通性を抽象し、まとめたものです。
難しいですね。
例えば、「イス」という概念。世の中には実に様々な事物があるわけですが、その中から「人間が座るためのモノ」という共通項のある事物を取り出し(抽象)、まとめて「イス」という言葉で表します。でも実はイスには様々な種類があり、1本脚のスツールもあれば、秀友館にある4つ足のもの、ソファーもイスの一種ですし、業界によってハコウマのことをイスと表現することもあるでしょう。それぞれ違った特徴を兼ね備えているのは確かですが、そこには「人間が座る」という共通項があり、その他の細かな違いは見ないことにします。これを捨象といいます。
概念化とは「世界の事物を言葉で切り取ること」といってもいいでしょう。
では、「概念化の恣意性」とはどういうことでしょうか。恣意性の意味と併せて考えると、「世界の事物の切り取り方に論理的必然性がない」ということになりますね。
例えば、化学式でH2Oで表される液体のことを何というでしょう。
日本語では「水」。当たり前です。でもちょっと待ってください。液体、ですから、90度の液体は「水」と呼びますか?日本人であれば「90度の水」とは決して言いません。「湯」ですよね。つまり、日本語では同じH2Oの液体を温度によって区別し、違う言葉で概念化しているのです。
一方英語はどうでしょうか。いうまでもなく、waterです。しかし、英語の場合は温度で区別することはしません。90度でもwaterです。「熱い」ということを言いたければhot waterというように修飾語を付けることはできますが、あくまでwaterなのです。
ここに概念化の恣意性が見て取れます。日本語では温度によって「水」「湯」と区別するのに対して、英語では基本的に全部water。なぜ日本語が温度によって区別するか、そこに論理的必然性がないのです。
もちろん、概念化は文化的背景が大きく影響していると言われています。日本語には魚の種類の単語がたくさんありますが、英語では、専門用語は別として、普通の英語話者は、厳密な区別をあまりしません。鯖もイワシもカツオを、魚です。もちろん区別する必要のある時はそれぞれ単語を使い分けます。
新沼謙治さんの歌で「津軽恋女」という歌があります。ちょっと古すぎますけれどね…汗
この歌のリフレインで、「津軽には七つの雪が降るとか。粉雪、つぶ雪、わた雪、ざらめ雪、みず雪、かた雪、春待つ氷雪」という部分があります。別に津軽だけ特別に7種類の違った雪が降るわけではありません。概念化が違うのです。津軽では文化的背景からわれわれ雪国ではない地方に住んでいる人とは、雪に対する概念化が違うのです。
他方で、アフリカの言語では、「雪」を表す単語がない場合が多いです。私の研究しているアムハラ語では、「氷」と「雪」が全く同じ単語で表されます。
さまざまなところに概念化の恣意性が見てとれます。
話が難しいので、なるべくわかりやすく書こうと思ったら、ついつい長くなってしましました。
こういった知識は英語に直接的にかかわる問題ではないかもしれませんが、現代文では必須の知識ですし、なにより、これから日本の最高学府に行って学問をしようという皆さんには全員に知っておいていただきたいことなのです。
では、また更新します。
昨日はバタバタと忙しくて、更新できませんでした。今日の話題は少し難しいのでまとまった時間が必要だったからです。
通常授業が始まっていますが、いかがでしょうか。学校の再開の見込みが立たない中不安かと思いますが、せっかく塾に来ているのですから、ぜひ有効活用してください。
<今日の学習>
さて、サブタイトルを「今日の学習」としてみました。でもなんかイケてないなぁ…。
前回の投稿で、「言語記号の恣意性」のお話をしました。理解できましたか?
今回は「恣意性」のもう一つの側面である「概念化の恣意性」についてお話しします。
まずもって、「概念」とは何かをお話ししなければなりませんね。一言でざっくりいうなれば、「概念」とは、個々の事物から一般性・共通性を抽象し、まとめたものです。
難しいですね。
例えば、「イス」という概念。世の中には実に様々な事物があるわけですが、その中から「人間が座るためのモノ」という共通項のある事物を取り出し(抽象)、まとめて「イス」という言葉で表します。でも実はイスには様々な種類があり、1本脚のスツールもあれば、秀友館にある4つ足のもの、ソファーもイスの一種ですし、業界によってハコウマのことをイスと表現することもあるでしょう。それぞれ違った特徴を兼ね備えているのは確かですが、そこには「人間が座る」という共通項があり、その他の細かな違いは見ないことにします。これを捨象といいます。
概念化とは「世界の事物を言葉で切り取ること」といってもいいでしょう。
では、「概念化の恣意性」とはどういうことでしょうか。恣意性の意味と併せて考えると、「世界の事物の切り取り方に論理的必然性がない」ということになりますね。
例えば、化学式でH2Oで表される液体のことを何というでしょう。
日本語では「水」。当たり前です。でもちょっと待ってください。液体、ですから、90度の液体は「水」と呼びますか?日本人であれば「90度の水」とは決して言いません。「湯」ですよね。つまり、日本語では同じH2Oの液体を温度によって区別し、違う言葉で概念化しているのです。
一方英語はどうでしょうか。いうまでもなく、waterです。しかし、英語の場合は温度で区別することはしません。90度でもwaterです。「熱い」ということを言いたければhot waterというように修飾語を付けることはできますが、あくまでwaterなのです。
ここに概念化の恣意性が見て取れます。日本語では温度によって「水」「湯」と区別するのに対して、英語では基本的に全部water。なぜ日本語が温度によって区別するか、そこに論理的必然性がないのです。
もちろん、概念化は文化的背景が大きく影響していると言われています。日本語には魚の種類の単語がたくさんありますが、英語では、専門用語は別として、普通の英語話者は、厳密な区別をあまりしません。鯖もイワシもカツオを、魚です。もちろん区別する必要のある時はそれぞれ単語を使い分けます。
新沼謙治さんの歌で「津軽恋女」という歌があります。ちょっと古すぎますけれどね…汗
この歌のリフレインで、「津軽には七つの雪が降るとか。粉雪、つぶ雪、わた雪、ざらめ雪、みず雪、かた雪、春待つ氷雪」という部分があります。別に津軽だけ特別に7種類の違った雪が降るわけではありません。概念化が違うのです。津軽では文化的背景からわれわれ雪国ではない地方に住んでいる人とは、雪に対する概念化が違うのです。
他方で、アフリカの言語では、「雪」を表す単語がない場合が多いです。私の研究しているアムハラ語では、「氷」と「雪」が全く同じ単語で表されます。
さまざまなところに概念化の恣意性が見てとれます。
話が難しいので、なるべくわかりやすく書こうと思ったら、ついつい長くなってしましました。
こういった知識は英語に直接的にかかわる問題ではないかもしれませんが、現代文では必須の知識ですし、なにより、これから日本の最高学府に行って学問をしようという皆さんには全員に知っておいていただきたいことなのです。
では、また更新します。
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