みなさん、こんにちは。
通常授業が始まっておりますが、コロナの感染拡大が懸念されるところでもあります。保護者の方とよう相談した上で、お越し下さい。秀友館では換気、少人数、生徒間の距離とるなど、感染防止に努めて授業をしております。
今回の非常事態で、日本中が大変なことになっています。観光業は大打撃ですし、商業、交通、あらゆる方面に影響が及んでいます。本当にどうなるのか、予想がつきません。いつ終息するかの目処も立たない今回の騒動は、社会の構造を大きく変えるのではないかと思われます。大学入試にも影響が出てくることは、ほぼ確実でしょう。本当に共通テストや二次試験が実施できるのか、という心配も出てきました。
ただ、先のことが見えないからこそ、今できることを出来るときにやっておくことが大切なのではないかと思います。
<今日の英語>
「今日の英語」って言うのは、どうも、変な感じがします。英語の話題だけではないので、何か他の題名がほしいところではあるのですが、僕はそういう美的センスがまるでダメなので、皆さん、なにかいいものを考えて下さい。
ブログのデザインなんかも、今はシンプルなものにしています。もっとこうしてほしいとかありましたら、教えて下さい!
さてさて、今日の英語でした。今日は少し難しい(かもしれない)お話をしましょうか。arbitrariness「恣意性」について。この話題は英語だけでなく、現代文にも役に立ちます。それどころか、現代の科学の根底を成す思想といっても過言ではありません。大学生たるもの、恣意性の意味くらいは知っておきたいものです。
「恣意」、まず漢字が読めないかも知れません。「しい」と読みます。日常会話では「恣意的に」というのは、「行き当りばったり」「無作為」「勝手気まま」というような意味を表します。
しかし、現代の諸学問において、「恣意的」というのは日常会話における用法と、少し違います。ある2つの事象が「恣意的な関係にある」という場合、「論理的必然性がない」ということを意味します。
例えば、「イヌ」という音声と、「ワンワンと鳴く愛玩動物」という事象の間には、論理的必然性がありません。あの動物のことを「イヌ」という必然性はどこにもないのです。別に「ぶへ」とか「ぬぽ」とか「にょぽ」と名づけてもなんら問題はありません。ただ私たち日本語話者が、いわば勝手に「イヌ」という音声を割り当てているだけなのです。事実、同じ動物のことを、英語では「ドッグ」、フランス語では「シアン」、ドイツ語では「フント」、アラビア語では「カルブ」、アムハラ語では「ウッシャ」というそれぞれの言語でいわば「勝手に」名前をつけているのです。
「イヌ」の例はほんの一例で、基本的には、言語の「音声」と「意味」の間には、論理的な必然性がありません。
これを「言語記号の恣意性」と呼んだりします。
恣意性にはもう一つ、「概念化の恣意性」というものもあります。これについては別の投稿で詳しくお話しますね。
ちなみにこの、いわば「当たり前」のことを初めて言ったのがスイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(1857-1923)です。彼の思想に端を発し、現代の「構造主義structuralism」というものが生まれました。「構造主義」といえば、レヴィ・ストロースが有名ですよね。倫理で習った人も多いかと思います。詳しくは倫理の授業に譲ることにしますが、現代の哲学や科学が、構造主義の影響を大きく受けていることは間違いありません。大学に入って色々な学問をやっていくことになる皆さんは、こういった科学思想を知っておくことはとても重要です。
私は、秀友館で英語を教えていますが、大学受験だけのテクニックに走るような英語を教えるつもりは全くありません。大学受験に受かることはもちろん必要なことですが、そういった目先の目標のみに囚われていると、大切なことを見失います。英語でさまざまな思想や科学技術を理解できるようにならなければ、大学生失格です。
3年生は時間のない中で効率よく勉強しなければならず、「そんな雑学なんてやってる暇ないよ!」と思うかもしれませんが、こういった知識は将来必ず役に立ちます。視野を広く、常に色々なことに興味を持ち、疑問に思ったら調べる。少しずつで構いませんから、知識をつけ、考える習慣を付けて下さい。
長くなりました。「概念化の恣意性」については、別投稿で。
ではまた!
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